159●日露戦争
●日英同盟
1902年、ロシアに対し利害を同じくするイギリスと日本は
ロシアの南下防止のため同盟を結び、ロシアに対抗した。
●日露戦争
●●開戦への動き
満州・朝鮮をめぐる対立から、
国内でも新聞を中心に開戦の世論が高まる。
社会主義者の幸徳秋水やキリスト教徒の内村鑑三らは
戦争に反対したが、1904年に開戦した。
●●反戦の動き
幸徳秋水は社会主義者の立場から、
内村鑑三はキリスト教に基づく人道主義より戦争を批判。
また与謝野晶子は旅順にいる弟を思い、
「君、死にたまふことなかれ」を発表して戦争を嘆いた。
●結果
日本は苦戦しながらも旅順や奉天などを占領。
日本海海戦では東郷平八郎の率いる日本海軍が
ロシアのバルチック艦隊を破った。
●ポーツマス条約
(1)樺太の南半分を日本領土に。
(2)遼東半島南部の租借
(3)朝鮮、満州市場での優越権
これらを得たが、賠償金はなく、
不満をもった国民が暴動を起こした。
この暴動を日比谷焼き打ち事件という。
ポーツマス条約はアメリカのルーズベルト大統領が仲介役を担った。
●影響
八幡製鉄所が拡充され、生産が軌道に乗った。
また民間の製鉄会社も設立が進み、
造船技術の発達により重化学工業が発展。
日本の国際的地位が向上した。
関税自主権についても、
1911年にアメリカ、つづいて全ての国に対して回復に成功した。
●●1899年には中国で、列強の侵略に反対して蜂起した
義和団という団体を翌年列国が共同出兵して倒すという
義和団事件が起きた。
●●日露戦争において、日本は兵力・物資不足、
ロシアは国内の革命運動により戦争継続が困難になった。