10●室町時代・正長の土一揆・応仁の乱・戦国時代・下克上・金閣寺・銀閣寺・観阿弥世阿弥の最近のブログ記事

10●室町時代・正長の土一揆・応仁の乱・戦国時代・下克上・金閣寺・銀閣寺・観阿弥世阿弥



1338年●室町時代・惣・座・土倉・正長の土一揆

農村では惣(そう)という自治組織が発達しました。商工業者は座(ざ)という同業者の組合を作りました。土倉(どそう)と呼ばれた質屋や酒屋が金貸し業を営みました。運送業も発達して、港町には倉庫を構えた問(とい)が、陸上では馬借(ばしゃく)と呼ばれる運送業者が活躍しました。1428年、近江の馬借や京都の農民が京都に入り,幕府に徳政令(とくせいれい)を出すことを要求して寺院や土倉を襲いました。この事件を正長の土一揆(しょうちょうのつちいっき)といいます。




1467年●応仁の乱・戦国時代の幕開け・山城国一揆・加賀の一向一揆・下克上・戦国大名

1467年に起こった応仁の乱(おうにんのらん)は11年間続いて、約100年間続く戦国時代の幕開けとなりました。1485年に山城国一揆(やましろのくにいっき)が起きました。1488年には加賀(かが)の一向一揆(いっこういっき)が起きて守護を攻め滅ぼして約100年間、自治を続けました。守護大名の多くが下克上(げこくじょう)によって家臣に倒され、戦国大名が生まれました。戦国大名は領国統治のために、分国法(ぶんこくほう)という法律を制定しました。




1338年●室町時代の文化・足利義満・金閣寺・足利義政・銀閣寺・書院造

室町時代の文化の特色は公家と武家の文化が融合したこと、中国から伝わった禅宗(ぜんしゅう)の影響を受けていることです。足利義満は京都の北山に金閣寺(きんかくじ)を建てました。足利義政(あしかがよしまさ)は応仁の乱後,東山(ひがしやま)に銀閣寺(ぎんかくじ)を建てました。義政の時代の文化を東山文化(ひがしやまぶんか)といいます。銀閣寺は書院造(しょいんづくり)という建築様式に特色があります。

雪舟(せっしゅう)は水墨画(すいぼくが)を、観阿弥・世阿弥(かんあみ・ぜあみ)は能楽(のうがく)を大成させました。能楽の合間に演じられたものに狂言(きょうげん)があります。民衆の間でも「浦島太郎」のようなお伽草子(おとぎぞうし)と呼ばれる絵本が作られました。和歌から生まれた連歌(れんが)は、公家の間でも村の寄り合いでも盛んに行われました。人物としては宗祇(そうぎ)が知られています。



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