109●弥生時代
●弥生時代
紀元前3~2世紀ごろから紀元2~3世紀ごろ。
紀元前1世紀ごろの倭(日本)は100余りの小国に分かれていた。
弥生時代では簡単な文様の弥生土器が使われていた。
稲作が中心に行われ、金属器の使用が始まった。
●●弥生土器
簡単な文様があり、薄くて上質の土器。
弥生土器は縄文土器と違って赤褐色。
●●弥生時代の道具
道具として青銅器や鉄器などの金属器が使われ始めた。
金属器は農具や武具などに使われた。
また、農具として石包丁、すき、くわ等が出現。
青銅器は主として銅剣・銅矛・銅鐸・銅鏡などに使われ、祭りや戦いに使用された。
●●弥生時代の社会
竪穴式住居に住み、稲作をして定住生活。
稲の穂を蓄えるための倉庫として高床式倉庫が作られた。
貧富の差が生まれた。
●●弥生時代の代表的な遺跡
登呂遺跡(静岡県 稲作文化を代表する遺跡)
吉野ヶ里遺跡(佐賀県)
●邪馬台国の成立
3世紀、中国では漢が滅び、魏・呉・蜀の三国に分裂(ぎ・ご・しょく、の三国)。
日本では、邪馬台国の女王である卑弥呼が約30の小国を支配。
卑弥呼は239年、魏に使いを送り、金印を授かった。「魏志」の倭人伝に記述あり。
邪馬台国の位置については畿内説と九州説の2つがある(互いに今も主張しあっている)。
●●漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)
1世紀ごろ、倭(日本)の奴という国の使者が漢に使いを送り、金印を授かる。
この金印には「漢委奴国王」と刻まれていた。
●●親魏倭王
卑弥呼は魏の皇帝から「親魏倭王」の称号を送られた。