156●条約改正(治外法権の撤廃・関税自主権の回復など)
●政府の努力
1871年、岩倉具視の欧米派遣以来、
井上肇の鹿鳴館に象徴される
極端な欧米化政策をとるなど、
不平等条約改正の交渉を進めてきたが成功しなかった。
●治外法権の撤廃
1886年のノルマントン号事件の裁判結果により、
国民に条約改正の声が高まり、1894年の日清戦争前に撤廃成功。
●陸奥宗光
治外法権撤廃時の外相。
イギリスとの間で治外法権撤廃に成功した。
●ノルマントン号事件
イギリス船ノルマントン号が沈没した際に、
イギリス人船員だけを救出し、日本人乗客は25人全員が死亡した。
これに対し、イギリス領事は船長を無罪とした事件。
●関税自主権の回復
担当したのは小村寿太郎。
1911年にアメリカとの間で交渉成立。
●治外法権の撤廃に成功した
イギリスとの条約を日英通商航海条約という。
●ロシアの東アジア進出に対抗するために
イギリスは条約改正に応じた。