154●文明開化と自由民権運動
●生活の洋風化
東京など大都市中心。洋風建築、ガス灯、
太陽暦(それまでは太陰暦)、七曜制、24時間制。
●教育制度
1872年、学制発布により、義務教育制が始まる。
1890年、「忠君愛国」の教育勅語発布。
●思想
欧米近代思想紹介。福沢諭吉は「学問のすすめ」、
中江兆民はルソーの「民約論」を訳した「民約訳解」を著した。
「民約訳解」によりフランスの人権思想を紹介した。
●自由民権運動
国民の自由と権利を求め、議会政治の実現を目指す運動。
中心は板垣退助など。
自由民権運動は藩閥政治に不満の板垣退助らが
民選議員設立建白書(意見書)を政府に提出したことから始まる(国会開設要求)。
政府は要求を受け付けず、
言論・集会などを厳しく取り締まったが、
1881年に10年後の国会開設を約束した。
●自由民権運動と暴動事件
自由党党首の板垣退助の洋行などにより指導部を失った。
その後、自由党員や農民が直接行動にでるようになる。
1882年には福島事件が起こり、ついで関東を中心に北陸、東海で起こった。
1884年に起こった秩父事件は数万の農民が蜂起したため、
政府はその鎮圧に軍隊まで派遣し、おさめた。
●自由党
(1)党首は板垣退助
(2)特色:フランス流で急進的
(3)主権:人民主権
(4)支持層:不平士族・農民
(5)選挙:普通選挙
●立憲改進党
(1)党首は大隈重信
(2)特色:イギリス流で穏健派
(3)主権:君民共治
(4)支持層:実業家、知識層
(5)選挙:制限選挙
●自由民権運動は広がりをみせ、
1880年には国会期成同盟が結成された。
●政府は集会条例を定めて、
民権派の言論・集会を取り締まった。
●1881年に板垣退助を党首にして自由党が、
1882年には大隈重信を党首にして立憲改進党が、
それぞれ結成された。
●北海道開拓使官有物払い下げ事件に対する
世間の非難を鎮めるために政府は10年後の
国会開設を約束した。