141●江戸幕府の外交政策
●江戸幕府の外交政策
●●朱印船貿易
徳川家康は海外発展に目を向け、朱印状を与えて貿易を進めた。
東南アジアには日本町ができた。
●●朱印状
外国と貿易をしようとする者には
朱印状を与えて海外への渡航を許可した。
●キリスト教の禁止
平等を説くキリスト教徒が団結し、
一揆を起こすことを恐れた幕府は禁教令を出した。
宣教師を追放したり、信者を調べるために踏絵を行ったりした。
寺請制度なども定めた。
●●踏絵
キリシタンを発見するため、キリストやマリアの像を踏ませた。
●●寺請制度
キリシタンなど禁じられている
宗派の信徒でないことを寺が保証する制度。
のちに宗門人別改帳が作成された。
●島原・天草一揆
1637年、キリスト教信者の農民が領主の迫害に反抗しておこした一揆。
●鎖国
ポルトガル船の来航が禁止され、
オランダ・中国のみが長崎での貿易を許可された。
その結果、日本独自の文化が生まれたが、近代化が遅れた。
●●中国
明が滅び、清が中国を支配した。
国交は回復できなかったものの、
商人は来航して鎖国後も長崎で貿易を許された。
●●オランダ
人工島である出島の商館で貿易が行われた。
オランダ商館長は将軍にあいさつし、
世界の出来事を報告書として提出することになっていた。
●●朝鮮
国交が結ばれ、日本と朝鮮の貿易は対馬の宗氏のもとで行われた。
将軍の代替わりには通信使を派遣した。
●●琉球
琉球は島津氏に制圧されたが、中国への朝貢貿易はそのまま行われた。
●●蝦夷
松前藩に支配された。シャクシャインの反乱がおこる。
●徳川家康はオランダやイギリスとの貿易を許可し、
平戸には商館が作られた。
●島原・天草一揆の大将は少年である天草四郎であった。
●鎖国の理由
(1)キリスト教の広がりを防ぐため
(2)貿易により力をつけてきた西国大名を抑えるため
●鎖国後、オランダに提出させた
世界の出来事を記した報告書をオランダ風説書という。