139●江戸幕府の成立
●江戸幕府の成立
関ヶ原の戦い(1600年)で石田三成らを破った徳川家康は、
1603年に征夷大将軍となり、幕府を江戸に開いた。
●幕藩体制
幕府を中心として、多くの大名がそれぞれの領地を支配した。
大名は親藩(徳川氏一族)・譜代大名(古くからの家臣)・
外様大名(関ヶ原の戦い前後に従う)に区別された。
●大名の統制
1615年、武家諸法度を出し、新しく城を作ることの禁止や
修築の制度などの他、参勤交代を義務づけて大名の経済力を
弱らせたり、江戸に妻子を住まわせたりするなど行動を監視した。
●江戸幕府の仕組み
トップは将軍。
将軍の下に次の役職が置かれた。
●●大老(随時に置く最高職)
●●老中(幕府の重要問題の処理)
さらに老中の下に次の役職が設置された。
●●●大目付(大名の監視)
●●●町奉行(江戸の市政)
●●●勘定奉行(財政・天領の監督)-郡代・代官
●●●遠国奉行
以下は将軍の下に置かれた役職
●●若年寄(老中を助ける)- 目付(旗本・御家人の監視)
●●京都所司代(朝廷と西国大名の監視)
●●寺社奉行(寺社を取り締まる)
●身分制度
●●士農工商の「士」
武士。支配階級で姓を名乗り、帯刀・切り捨て特権者。
●●士農工商の「農」
農民。慶安の御触書で日常生活を細かく規制。五人組で連帯責任。
●●士農工商の「工」と「商」
町民。都市に住む。
主人と奉公人・親方と徒弟という上下関係。
町役人が待ちを運営する。
●えた・ひにん
士農工商とは別におかれた工・商よりもまだ低い身分。
生活の全般にわたって差別された。
●農民支配
●●「百姓共は死なぬ様に、生きぬ様に」
徳川家康が言ったように、これが農民支配の方針。
●●慶安の御触書(1649年)
農民に対する日々の生活の
厳しいしめつけと倹約を示している。
●年貢
五公五民もしくは四公六民であったが、
農民には他の役も負わされ、生活は苦しかった。
●本百姓
土地を持ち、村の寄合に参加できた。
●水呑百姓
土地を持っておらず、小作人として働いていた。
村の寄合には参加できなかった。