126●鎌倉幕府の成立 いい国つくろっ
●鎌倉幕府
1185年、国ごとに守護、荘園や公領に地頭を設置。
1192年、源頼朝は征夷大将軍に任じられ、鎌倉に幕府を開く。
●●侍所(さむらいどころ)
御家人を組織し統制。
●●政所(まんどころ)
一般政務や財政事務を担う。
●●問注所(もんちゅうじょ)
裁判事務を担当。
●●六波羅探題(ろくはらたんだい)
京都の朝廷を監視および警備。
西国の統制をした(承久の乱の後)。
●執権政治
源頼朝の死後、政治の実権は頼朝の妻、政子と、
北条時政が握った。北条氏は代々執権となる。
●●承久の乱
1221年、後鳥羽上皇が倒幕のため挙兵する。
しかし、幕府の大軍に敗れた。その後、幕府の勢力が全国に及ぶ。
●●御成敗式目
1232年、北条泰時が御家人に対し、
訴訟や裁判の基準を示した法律。
最初の武家法である。
のちの武家法の手本となる。
●鎌倉幕府の仕組み
トップは「将軍」
トップ下に「執権」
「執権」の下は・・・
【中央】
侍所(軍事・警察)
政所(政治一般)
問注所(裁判)
【地方】
六波羅探題(京都の警備と朝廷の監視、西国の政治)
守護(国内の軍事・警察と御家人の統率)
地頭(土地の管理、年貢の取立て、警察の仕事)
●封建制度(武家の社会:御恩と奉公)
将軍は「御恩」を御家人に提供。
「御恩」とは領地の保証や恩恵のこと。
その代わり、御家人は将軍に対して「奉公」。
「奉公」とは中世を近い兵役に服すること。
御家人は農民を「支配」する。
農民は御家人に「年貢」をおさめる。
●●源氏の将軍は三代で途絶えた。
●●御成敗式目のことを貞永式目ともいう。
●●執権とは将軍を助けて幕府の政治を行う役職のことである。