120●平安京と摂関政治
●桓武天皇の政治
律令政治を立て直すため、794年に都を京都に移す。
京都の都を平安京という。
鎌倉幕府が成立するまでの400年間が平安時代。
●●健児の制(こんでいのせい)
農民からの徴兵をやめ郡司の子弟などを兵士として育成。
●●蝦夷の支配
朝廷は東北の蝦夷に坂上田村麻呂を征夷大将軍として派遣。
蝦夷はアルテイを中心に抵抗したが敗北した。
アルテイは平安時代初期の蝦夷の軍事指導者。処刑される。
※桓武天皇は班田収受の法の実施にも尽力した。
●仏教の新しい動き
●●最澄
比叡山に延暦寺を建て、天台宗を広めた。
●●空海
高野山に金剛峰寺を建て、真言宗を広めた。弘法大師ともいわれる。
※比叡山と高野山という「山」に寺を建てています。
これは静かな山の中に寺を建てて、そこで厳しい修行を積むという
新しい仏教のちょっとしたブームがこの時代に起きたためです。
●東アジアの変化
●●宋の統一
中国では、8世紀半ばに大乱が起こり、9世紀になると唐が急激に衰えた。
異民族の侵入により、907年に唐は滅亡。
分裂時代の後、979年に宋が中国を統一した。
●●朝鮮の動き
新羅が衰え、936年に高麗が新羅を滅ぼし、朝鮮半島を統一。
●●ベトナムの動き
漢以来、中国の支配下にあったベトナムは11世紀に独立。大越国をたてた。
●遣唐使の廃止(894年)
菅原道真の意見により、遣唐使が廃止された。唐の勢力が衰えたためである。
唐の影響が薄れ、10世紀には日本独自の文化が発達した。
●摂関政治
藤原氏は天皇と姻戚関係をつくり、天皇が幼いときは摂政として、
成人になると関白として、一族で政治の実験を握った。
道長と頼道のころが摂関政治の全盛期。
●●藤原道長の和歌
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の
かけたることも なしと思へば」
自分の思い通りにならないことなんて、この世には皆無だ!
という自信と思い上がり精神の充満した有名な歌です。
そりゃあ、やりたい放題ですからね。
権力も財産も膨れ上がる一方でしたから当然でしょう。