20●日清戦争・下関条約・三国干渉・日英同盟・日露戦争・辛亥革命・孫文・中華民国・袁世凱
1894年●日清戦争・下関条約・三国干渉・ロシア・フランス・ドイツ
朝鮮の甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう)をきっかけに、1894年、日清戦争(にっしんせんそう)が始まりました。戦争は日本の勝ち、下関条約が結ばれました。日清戦争の勝利で日本は3億円の賠償金と、台湾・遼東半島を獲得しました。ロシアは、フランスとドイツを誘って、遼東半島(リャオトンはんとう)を清に返還すべきだと圧力をかけてきました。これを三国干渉(さんごくかんしょう)といいます(干渉とは、他人のことに立ち入って自分の意思に従わせようとすること、です)。日本は三国干渉に対抗できず、多額の賠償金と引き替えに日本は清に遼東半島を返却したのです。
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1899年●義和団事件・日英同盟・日露戦争・ポーツマス条約・日比谷焼き打ち事件
1899年に義和団事件(ぎわだんじけん)が起こりましたが、ロシアはそのまま満州に大軍を駐留し続けました。これに対抗するため、1902年に日英同盟(にちえいどうめい)が結ばれました。1904年、日露戦争(にちろせんそう)が起こりましたが、日本はこれに勝って、アメリカの仲立ちにより、ポーツマス条約が結ばれました。日本の全権大使は小村寿太郎(こむらじゅたたろう)でした。しかし、賠償金がとれなかったことに不満をもった民衆は日比谷焼き打ち事件(ひびややきうちじけん)を起こしました。
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1911年●辛亥革命・韓国併合・孫文・中華民国・袁世凱
1910年日本は韓国併合(かんこくへいごう)を実行しました。義和団事件の後、列強の中国侵略が進むなかで、孫文(そんぶん)は三民主義を唱えました。孫文は中国革命同盟会を作って革命運動を指導しました。1911年、辛亥革命(しんがいかくめい)が起こって清朝が倒れ、南京を首都とする中華民国(ちゅうかみんこく)が成立しました。孫文が中華民国の臨時大総統に就任しました。しかし、軍閥の袁世凱(えんせいがい)が孫文を追い出して大総統の地位に就きました。
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