13●島原の乱・踏み絵・朱印船貿易・新田開発・将軍のお膝元・天下の台所
1637年●島原の乱・踏み絵・鎖国・朱印船貿易・明から清・朝鮮通信使
徳川家康は朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)を積極的に進め、東南アジア各地に日本町が作られました。1637年、三代将軍の徳川家光(とくがわいえみつ)のとき、島原・天草地方のキリスト教農民が島原の乱(しまばらのらん)を起こしました。幕府はキリスト教の禁止を徹底して行い、踏み絵(ふみえ)を実施しました。
さらに幕府は1639年、ポルトガル人の来航を禁止して、それと同時にオランダ人を長崎(ながさき)の出島(でじま)に集めて、ここだけ貿易を許しました。これを鎖国(さこく)といいます。このころ中国では明が滅んで清(しん)が建国されています。
将軍が代わるごとに朝鮮から通信使(つうしんし)が訪れました。琉球(りゅうきゅう)は17世紀のはじめに薩摩藩によって征服されました。また,蝦夷地(えぞち)は松前藩(まつまえはん)による圧迫を受けたアイヌ民族がその族長のシャクシャインの指揮のもと反乱を起こしました。
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1603年●江戸時代初期(産業・都市の発達)・新田開発・千歯こき・千石どおし
江戸時代初期,新田開発が盛んに行われました。九州の有明海や岡山の児島湾では干拓(かんたく)が行われました。その結果,秀吉の時代から100年の間に田畑面積は約2倍になりました。農具も改良され、土地を深く耕すことのできる備中(びっちゅう)ぐわ、脱穀のための千歯(せんば)こき、米の選別のための千石(せんごく)どおしが発明されました。
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1603年●将軍のお膝元・天下の台所・京都の西陣織と清水焼・三都
江戸は「将軍のおひざもと」と呼ばれました。江戸を中心として東海道や中山道などの五街道(ごかいどう)が定められました。大坂は「天下の台所」と呼ばれました。年貢米の保管のために各大名が置いた蔵屋敷(くらやしき)がありました。また、京都は西陣織や清水焼で有名でした。江戸、大坂,京都をあわせて三都(さんと)といわれました。
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