08●源頼朝・鎌倉幕府・御家人・御恩・奉公・封建制度・承久の乱・鎌倉文化
1192年●源頼朝・征夷大将軍・鎌倉幕府・北条氏・執権
源頼朝は1185年に壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)で平氏を滅ぼしました。同年、朝廷に国ごとに守護(しゅご),荘園ごとに地頭(じとう)を置くことを認めさせました。1192年、源頼朝(みなもとのよりとも)は,征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命されて、鎌倉幕府を開きました。しかし、源氏は三代で滅び、もっとも有力な御家人であった北条氏(ほうじょうし)が執権(しっけん)という地位について政治の実権を握りました。
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1192年●御家人・御恩・奉公・封建制度
御家人は,将軍から領地を認められ、守護や地頭などに任じられました。これを御恩(ごおん)といいます。その代わりに御家人は京都・鎌倉の警備にあたり、いざ戦いというときには一族郎党を率いて働きました。これを奉公(ほうこう)といいます。このような土地を仲立ちにした主従関係を封建制度ほうけんせいど)といいます。
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1221年●承久の乱・後鳥羽上皇・六波羅探題・北条泰時・御成敗式目
1221年,後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)は兵を挙げたが、幕府の大軍に敗れて隠岐(おき)に流されました。これを承久の乱(じょうきゅうのらん)といいます。承久の乱のあと、幕府は朝廷や西国の武士を監視するため、京都に六波羅探題(ろくはらたんだい)を置きました。1232年,北条泰時(ほうじょうやすとき)は領地や裁判などについての武士の在り方をまとめた、御成敗式目(ごせいばいしきもく)を定めました。
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1192年●法然・浄土宗・親鸞・浄土真宗・一遍・時宗・日蓮・日蓮宗
法然(ほうねん)は浄土信仰を発展させた浄土宗(じょうどしゅう)を開きました。法然の弟子である親鸞(しんらん)は「悪人正機説(あくにんしょうきせつ)」を唱えて浄土真宗(じょうどしんしゅう)を開きました。一遍(いっぺん)は時宗(じしゅう)を開いて各地をまわって踊り念仏(おどりねんぶつ)を広めました。法華経こそが仏教の根本であると説いた日蓮(にちれん)は日蓮宗を開きました。また,宋に渡った栄西と道元は禅宗を伝え、栄西(えいさい)は臨済宗(りんざいしゅう)、道元(どうげん)は曹洞宗(そうとうしゅう)を開きました。
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1192年●鎌倉文化・軍記物・平家物語・吉田兼好・徒然草・鴨長明・方丈記・金剛力士増
合戦のようすなどを描いた軍記物(ぐんきもの)としては平家物語があり、琵琶法師(びわほうし)によって人々に伝えられました。随筆としては,吉田兼好(よしだけんこう)の徒然草、鴨長明(かものちょうめい)の方丈記(ほうじょうき)があります。また、和歌集としては新古今和歌集があります。代表的な建築物としては東大寺南大門があります。彫刻には運慶(うんけい)・快慶(かいけい)の金剛力士像(こんごうりきしぞう)があり、東大寺南大門に置かれています。
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