07●摂関政治・藤原氏・藤原道長・藤原頼道・奥州藤原氏・院政・白河天皇

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07●摂関政治・藤原氏・藤原道長・藤原頼道・奥州藤原氏・院政・白河天皇



866年●摂関政治・藤原氏・摂政・関白・藤原道長・藤原頼道・平等院鳳凰堂

9世紀中ごろから藤原氏が勢力を伸ばしました。藤原氏は娘を天皇の后(きさき)にして、孫の皇子を天皇にたてました。天皇が幼少のときは摂政(せっしょう)として、成人してからは関白(かんぱく)として、政治の実権を握るようになりました。これを摂関(せっかん)政治といいます。11世紀の藤原道長(ふじわらのみちなが)・藤原頼通(ふじわらのよりみち)親子の時代が、その最盛期でした。藤原頼通は、浄土信仰(じょうどしんこう)の影響を受けた平等院鳳凰堂(びょうどういんほうおうどう)を京都の宇治(うじ)に建てました。



 
935年●武士の出現・武士団・東北の奥州藤原氏・中尊寺金色堂

国司の税の取り立てに対抗するために武装するようになった農民は武士と呼ばれました。源氏や平氏などの武士団が生まれました。10世紀の中ごろ,関東では平将門(たいらのまさかど)が乱を起こし、瀬戸内では藤原純友(ふじわらのすみとも)が乱を起こしました。東北地方では,奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)が勢力を伸ばしました。奥州藤原氏は浄土信仰の影響を受けて平泉(ひらいずみ)に中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)を作りました。




1167年●院政・白河天皇・保元の乱・平治の乱・平清盛・太政大臣・宋との貿易

白河天皇(しらかわてんのう)は、位を皇子にゆずってからも上皇として政治の実権を握りました。これが院政(いんせい)の始まりです。1156年に保元の乱(ほうげんのらん)、1159年に平治の乱(へいじのらん)が起こりました。これらの争いに勝った平清盛(たいらのきよもり)は1167年に太政大臣(だじょうだいじん)となって政治の実権を握りました。平清盛は、兵庫の港を整備して中国の宋(そう)との間の貿易を積極的に行いました。

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