06●平安京・桓武天皇・遣唐使廃止・かな文字・紫式部・清少納言・紀貫之
794年●平安京・桓武天皇・坂上田村麻呂・征夷大将軍・空海・最澄
8世紀後半、朝廷内の争いや僧の政治への口出しが多くなりました。そこで、桓武天皇(かんむてんのう)は794年に平安京(へいあんきょう)に都を移して政治の改革に着手したのです。桓武天皇は、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)を征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任命して蝦夷(えぞ)の反乱を鎮圧させました。さらに、奈良仏教に対抗するために真言宗(しんごんしゅう)の開祖である空海(くうかい)と,天台宗(てんだいしゅう)の開祖である最澄(さいちょう)をバックアップしました。
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894年●遣唐使廃止・国風文化・寝殿造・かな文字・源氏物語・枕草子・古今和歌集
894年に遣唐使(けんとうし)が廃止されました。これによって日本独自の文化が発達しました。これを国風文化(こくふうぶんか)といいます。貴族の住居は自然を取り入れた寝殿造(しんでんづくり)でした。絵画では大和絵(やまとえ)が描かれました。また、かな文字の発明によって文学が発達しました。紫式部(むらさきしきぶ)の源氏物語、清少納言(せいしょうなごん)の枕草子、紀貫之(きのつらゆき)らが編集した古今和歌集(こきんわかしゅう)が代表的な作品です。
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