04●平城京・大宝律令・長安・国司・太宰府・班田収授法・墾田永年私財法

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04●平城京・大宝律令・長安・国司・太宰府・班田収授法・墾田永年私財法


710年●大宝律令・平城京・長安・国司・太宰府

701年の大宝律令(たいほうりつりょう)によって,律令国家の仕組みが整いました。710年には奈良に都がうつされました。唐の都、長安(ちょうあん)を参考に作られた、この奈良の都を平城京(へいじょうきょう)といいます。中央には二官八省(にかんはっしょう)の役所が設置され、国ごとに国司(こくし)が置かれました。九州には太宰府(だざいふ)が設置されました。




701年●班田収授法・口分田・租庸調雑徭・防人

6年ごとに作られる戸籍(こせき)に基づき、6歳以上の男女に口分田(くぶんでん)を分け与えて、死後に返還させる班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)が定められました。その一方で、租(そ)(収穫した稲の3%)、庸(よう)(成年男子に布で納めさせた)、調(地方の特産物)、雑徭(ぞうよう)(国司のもとで年間60日以内の労働を行う)などの重い税を課しました。さらに高利で稲を強制的に貸し付ける出挙(すいこ)も行われました。また九州の防備のための防人(さきもり)という兵役もありました。




743年●墾田永年私財法・荘園の始まり

重い税に耐えられず、口分田を捨てて逃亡する農民が増えました(まぁ当然ですね)。その結果、田は荒れ放題になり、人口増加もあって口分田が不足するようになりました。これに対処するため、743年、墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)が出されました。この法は、土地を新たに開墾した場合は,永久に私有を認めるというものです。その結果、貴族や寺社などが、逃亡してきた農民などを使って開墾を進めました。これが荘園(しょうえん)の始まりです。

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