02●縄文時代・弥生時代・魏志倭人伝・邪馬台国・卑弥呼
-300年●縄文時代~竪穴住居・土偶・貝塚~
1万年前~紀元前3世紀を縄文時代(じょうもんじだい)といいます。人々は集団でむらをつくり,植物を栽培したり,狩猟を行ったりして、竪穴住居(たてあなじゅうきょ)で生活していました。縄目(なわめ)の文様のついた縄文土器が使われました。魔除け(まよけ)や食物の豊かさを祈願するために土偶(どぐう)が作られました。貝殻を捨てた跡地である貝塚(かいづか)から発見された物から当時の様子を知ることができます。
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-300年●弥生時代~稲作の伝来・弥生土器・高床倉庫・青銅器・鉄器~
紀元前3世紀ごろ,朝鮮半島南部から稲作が伝えられました。このころから紀元3世紀までの時代を弥生時代(やよいじだい)といいます。薄くて飾りの少ない実用的な弥生土器が作られました。穀物(こくもつ)の貯蔵のために高床倉庫が使われました。また,青銅器(せいどうき)や鉄器などの金属器が利用されました。
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57年●漢の倭の奴の国王・金印・魏志倭人伝・邪馬台国・卑弥呼
紀元前後の日本は倭(わ)と呼ばれ、100あまりの国に分かれていました。1世紀の中ごろの57年、倭の奴の国王(わのなのこくおう)が漢の皇帝に使いを送り金印を授けられました。
弥生時代の1,2世紀の頃の遺跡としては、佐賀県にある吉野ヶ里遺跡(よしのがりいせき)があります。
239 年、倭の邪馬台国(やまたいこく)の女王である卑弥呼(ひみこ)が中国の魏(ぎ)に使いを送ったことが中国の歴史書の魏志倭人伝に記されています。
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